区名の由来

 我々の郷土は一時期戦乱の場となり、横田河原の合戦、大塔合戦、川中島の合戦と、いずれも戦場地となりました。
村人が灌漑(かんがい)用水路を造っているとき、黄金の幣(ぬき)束、高さ五、六寸のものを掘り出した。黄金の幣(ぬき)には「八幡宮」の三文字が刻まれていた。
村人は甲越戦争(武田・上杉の戦)の名将の兜立で、金幣(ぬき)は神のお告げと信じて、幣川神社(みことがわじんじゃ)を創建しました。そして村の西を流れる川の名を御幣川(おんべがわ)と定めました。
江戸時代は「真田十万石」松代藩領に属し、治水も整い、村の基盤が整いました。
村名より先に御幣川の川名が度々出てくることから、御幣川の川名が村名となったと考えられます。     ※御幣川区誌より

御幣川区は古くは北国街道(善光寺道)によってひらけ、今は長野市の南の玄関口として交通の要衝の地となりました。
私たちの郷土は長野市の南に位置して、犀川と千曲川にはさまれた扇状の地域で、川中島平と呼んでいます。
妻女山から見た御幣川区
白い山並みは北アルプス連峰
 ※妻女山=上杉軍が陣を構えたところ